遺書〜新たな旅立ちへ
2017.2.20 月曜日 雨
このページの日記は、私の遺書のつもりで書いています。
熊本ボランティア〜被災地回りの一日を終え、熊本空港へと到着。
㈲ふじ美塗装の方々と空港でお別れをし、いざ帰路へ。
(実は寂しくて仕方ありませんでした、今生のお別れではないはずなのに・・・)
東京地方の気象情報は最悪な状況でしたが、熊本県は静かな雨模様でした。
飛行機に乗り込み、滑走路から勢いよく上昇。
携帯の充電をし忘れたので、またしても画像なしのブログです。
機内から見える、あたり一面に広がる雲の中に、何かが見えたため探し続けること1時間(もちろん何も発見できませんでした)。
その時のアナウンスでは、「あと20分ほどで羽田空港に着陸予定です」とのこと。
しばらくしてから機長のアナウンスで「10分ほどで着陸予定になっております、ベルトを締めてください」との指示が。
「言われなくても、ベルトは外してないぜ・・・」そう、私は法令順守の鬼。
必ずルール通りに事を進める、まっすぐな男(愚直か)。
もう少しで羽田か、と考えているうちに機体が大きく揺れ始める!
すごく焦った私は、動揺し始めました・・・・・。
揺れは治まったものの、2度聞きしてしまう内容の機内アナウンスが流れてきました。
「ただいま、着陸を試みましたが激しい風に機体があおられたため、再び上昇します」
・・・・・・・・・・え!?(飛行機恐いんだって!)
猛烈な揺れが始まり、気分は最低潮。
そう、激しい気流へと突入していったのです。
ジェットコースターなどに乗れない私は横揺れ・縦揺れを繰り返す機内にて、この便に乗ってしまったことを、激しく後悔していました。
「もう、人生お終いか・・・」
揺れること1時間(?)、機長たちは着陸をするためにすごく努力をしてくれたと思います。
初めの揺れあたりでは周りの乗客の間には笑い声などが聞こえていましたが、30分もすると誰も話をする人はいなくなりました。
みんな、最悪のことが頭をよぎっていたのでしょう。
外壁塗装を、もっともっとやりたい、ここで死ぬわけにはいかない。
私は中森明菜さんのようになりたいと、本気で考えておりました。
「私は泣いたことがない 速い車に乗っけられても 急にスピンかけられても怖くなかった」
恐怖の時間が続き、そろそろ辞世の句でもしたためようかと考えていたところ、「あと10分後に着陸を試みます」的なアナウンスが流れましたが、失神しそうでしたので真に受けませんでした。
「何度やっても同じ・・・もう、ダメずら」
しかし!!流石はJAL!!!
アクアラインの上空を飛行していたと思ったら、いつの間にか羽田の滑走路まで来ているではありませんか!?
着陸寸前まで、会話の聞こえない機内でしたが、タイヤが地面に・・・・・・・・着いた瞬間には、乗客から一斉の拍手が!!!!!!!(ToT)/~~~
私も大きな大きな拍手をしながら、泣いていました。
機内アナウンス「機長の〇川です。このたびは厳しい状況の中、皆様には多大な不安をおかけしてしまいましたが、無事到着いたしました。」
もう、感動極まりなしでした。
このような状況でのフライトは、滅多にないみたいです。
私は、お礼を言いたい。本当に死を考えた1時間。機長の〇川さんが、あの激しく揺れ続けた飛行機を最高の技術で着陸させてくれたことで、私はこのブログを書けている。
あなたでなければ、どんな結果になっていたかもわかりません。
これから塗る家のオーナー様やこれから出会うお客様、スタッフ達や友人、そして家族・・・・・。
私の使命を、今までにないくらいに強く感じることができた、濃密な2日間でした。
機長の〇川さん、あなたの家を塗ることができるなら、私はどんなに幸せか・・・・。